自分の建築を評してくれる友人がいる。
「だいたいの建築」とは真空ラボの面々。
そして、「ニエキラナイ建築」とは友高室内装飾の友高さん。
ことばだけ聞くと、なんかテキトーな仕事をしているように感じられてしまうかもしれない。
だけど自分としては、結構、この言葉は的を得てるなあ~と感じている。
「だいたい」とは構造がおろそかとか、ディテールが納まっていないとか、そんな話ではない。
細部の所まで気を配るのは当たり前なのだが、そういったものを「大きな意味」で方向性をまとめておけば、後は気にしない。細部に「大きな意味」とは別の「小さな意味」を付与することを避けていることである。
施主(旗をふる人)と打合せを重ねることで、共通の認識のもとに建築に「大きな意味」が与えられる。そして、後はそこで生活(活動)することを制限するような「小さな意味」をあえてつくらない。言うなれば、「大きな意味」以外は「だいたい」で良いということである。
そして、「ニエキラナイ」というのは、デザイナーとして「コー見せたい、アー見せたい」という意思が働いていないということ。そんな恣意的なデザインには興味がない。施主と「大きい意味」を見つけ出せれば、他のことは使い勝手やコストを考慮して決めていく。そして、物事を素直に成り立たせることに力を注ぎ、「泣かぬなら、泣かなくていいだよ。ホトトギスさん」の心構えで、無理をしない。
これらの意味を踏まえて、カッコよく言うならば「大らかな」なのかなと思うけど、ネガティブなイメージがまとわりついてしまう「だいたいの建築」、「ニエキラナイ建築」の方がお気に入り。
さて、来年も 「だいたいの建築」、「ニエキラナイ建築」 を実践していきますか...。







いつも拝見しております。違うお客様の旗を振る人でございます。我家はかなり順調に進んでおります(プラモ部屋も小さくて良い感じ・・・笑)。しかし何でしょうね、この気持・・・最近では嬉しさと言うより不安?それともビビッてる?かなぁ・・・別にイメージと違うとか、気に入らない所があるとかそんなのじゃなく(実際は一番良い家になる自信アリ 失礼しました)何か上手く表現できないんだけど、これで良いのか?なんて考えてしまう毎日です。まぁ一番不安なのは、引越しの準備ができるのか?めちゃくちゃ物に溢れてる家だぞって事でしょうか・・・爆。
これもまた一度しか味わえない幸せな悩みなんでしょうね、きっと。
たぶん一番良い家にする必要はないんじゃないかな。それがプレッシャーになっているとか…。クニダムさんの御家族らしい家ができれば良いんじゃないですかね。
そんなモヤモヤな気持ちをもった経験、自分にもあります。
そう、あれは確か…、
結婚する前だったかな…。
お久しぶりです。
「だいたいの建築」、「ニエキラナイ建築」って「未完の建築」
とはちょっとニュアンスが違うみたいだね。
「曖昧模糊」に近いのかなあ。
何年たってもいい空気感が漂う建築になるといいね。
お互いいろいろ模索しましょう~
あけましておめでとうございます。
「未完の建築」「曖昧模糊」とはちょっと違うかな…。例えていうなら、原っぱの中にある遊具と、原っぱの中にある大樹との違いでしょうか。遊具は用途が限定されてしまうけど、大樹は人々が寄り添い、様々な可能性を与えてくれる。自分は後者をつくりたいのです。
また寄りますね…。先日、千葉学さんの講演会で水野先生に御会いしましたよ。